昭和のトレース

家事をアートする
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イタリアンブーツです。
このブーツは昭和61年春に手に入れたものです。
この年の始めバイクを手に入れてそのために買ったものだ。
バイク用品店で買って左足のクラッチ操作部分の補強は
最初からだったと思う、少し使ってからかもしれない。
すぐにバイクを土岐から小原村に抜ける細い道のT字路で
田圃に落としその時右のアキレス腱部分に傷をつけてしまった。
これを履いていなかったらと思うとぞっとした。

これは今でも健在だよ。
バイクに乗るときは必ず履く、 それ以外でも履く時がある。

大変履き心地がよく、ハードなタイプのブーツで歩けたものはこれだけだ。
アメリカンブーツ、ヤマハのトライアルブーツとも長くは歩けない。
昭和20年代にはブーツのことを半長靴、長靴といった。
子供の私の耳には特別な響きを持っていた、この言葉を発する青年達も特別な思いを持っていたのでしょう。
上のブーツは「ちょうか」にあたりますかね?
私のブーツに対する思いは会社で履いていた安全靴のからでしょうか。
昭和50年頃からソフトブーツ(これもイタリー製で履き心地が良かった。)
布製のドライビングシューズデザインのもの、ビジネスシューズなどもくるぶしの隠れるものを履いていた。
イタリアの靴のいいのは皆さんご承知のごとくですが、昭和50年代に入って、
輸入靴が国内での提携生産になってブランドイメージを落としてしまいました。
デパートのMでもメーカーMのものを廉い国産物にしてしまい、
後にまた値段が倍位の輸入品も置くというような馬鹿なことをしていましたが、
この頃から輸入ブランドは信用できなくなってしまいました。
フランスのLのジャケットなど気に入って着ていました、そのブランドのブーツ用の靴下を
高い値段で買いましたが2回ばかり洗濯したら足首の所でぶっつりと切れてしまいました。
私が靴を履いたのは19歳になった、昭和32年に名古屋に出てきてからですね。
親父の友達か、紹介されてか注文靴を作りました、先の丸い安全靴のように無骨な靴でした。
この靴は盗られてしまったかその後を覚えていません。東山のアパートはアプローチに
畳を敷いただけの部屋で靴脱ぎが無くって外においてましたのでその後も2,3足盗られました。
後になって思えば盗って質屋に持って行ったんでしょう。当時の私では思いもしませんでした。
後どんな靴を履いていたか覚えていませんが昭和40年代にはイタリー製の靴になっていました。
そんな私にも5才頃には可愛い革靴があったような気がします、その後疎開になり、
兄弟は履けなくって、そんな靴を履けたのは私だけだったでしょう。