私の開墾体験

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開墾の様子

疎開先は土岐郡妻木町旭日町の借家だった、ここに数年住んでいた。(1944/)
近くに叔父の所有する山があった。ここを親父が開墾した、手伝ったり、遊んだりした。
土砂が流れ込む谷川筋だったから、砂地で開墾には向いていた。雑木林だったのかな。
思い出す太い根でも5,6Cmくらいのものだった、十数Cmの小豆梨の木かな、は残してあった。
小さな実がなっていたけど、マメナシの木とは少し違っていた、数年前に藪にもあったけど、
大きくならないようにと、剪定しすぎて枯れてしまった。この木は謎のままだね。
その木の下付近には桔梗が一本だけ咲いていた、山神さまもあった。廃材を燃やす穴もあった。
また東の半日蔭にはササユリが一本咲いていた。その北側に肥甕があった。

そのササユリの西側が砂地の畑だった、さつまいもにちょうどいい土質だった。
その北東には長方形の赤土の多い畑があった、ここの栽培は思い出せないけど、いい畑だった。
その東側にも小さな畑があった。砂地の畑の横には小川が流れていて、水には不自由しなかった。
その川を避けて、西北にも長方形の畑があった。ここも砂地だったと思う。
もう一段下にも中くらいの畑があった、湿地でサトイモに良かった、その東北には大き目の畑があった。
途中の経過はよく覚えていないから、学校のない日に手伝ったくらいなんだろうね。

借家を追い出されて。

今の実家の土地に地域のみなさんに小屋のような家を建ててもらった。小学生高学年のころかな。
その前には近所の納屋にむしろを敷いて家族6人で生活したこともある。
このころには父母も働き口ができて、畑は片手間だったんだろうね。
藪の畑はこの時代に開墾したんだと思う。家の裏でもなにがしかは栽培で来た。
さつまいもの苗床を親父が作っていたしね。縁の下にはさつまいもの貯蔵庫もあった。
親父がもらってきたダリヤの芋を植えた記憶もある。この辺りが私の栽培原点かな。
鶏小屋もあった、このころ学友とカスミ網猟をやったこともある。数年だろう。小鳥も飼っていた。
灯ぶりでドジョウ叩きもした、ドジョウのかいどりもした、妻木川でシラハエ釣りも覚えた。

高校を卒業すると。

私は名古屋に出た、翌年狩野川台風(昭和33年)で城山の見事な檜がほとんど倒れてしまった。
翌年は伊勢湾台風で開墾した畑が土砂で埋まってしまった。おそらくそれ以来復活はしなかったと思う。
藪の畑もひどかった土砂とサバの塊が堆積してここもひどかったけど、近かったから母が復活させていた。