下着

Fast up date;'13/09/05
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Last up date;'21/05/31
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下着は薄着だったから、シャツは年中半袖、下もブリーフ一枚だった。
はじめはシャツもシーサーだったけど、そのうちどんなものでもよくなった。
選んだのはブリーフだけだ。’10年ころから長そでのシャツを使うようになった。
釣りに行ったり、畑仕事が主体になったからかな。その場合は下も長いのを履く。
その代り普段は冬場以外、下着のシャツは使わない。

シーサー

このブランドを使い始めたのは’60年代の初めだと思う。
メーカーはドイツだったと思う、繊維メーカーが作っていた。
途中下着メーカに販売権が移った、その時品質が落ちてしまった。
アパレル業界の提携は品質保証がなっていない、
その後いろいろなケースで、ひどい目にあわされてきた。
世紀末にはついにそのブランドがなくなってしまった。

カルバン・クライン

次には立体裁断のカルバン・クラインを使うようになった。
この場合も提携先は、時々品質が少し落ちる、
自社開発品にもこのブランドを付けて販売してた。
デザインがいろいろあって、試し買いを沢山してきた。

ユニ・クロ

’13年になってユニクロでも立体裁断のいいものをが買えるようになった。
色目が若者向けで合うものをさっがすに大変だけど、
今後はこれを使っていこうと思っている。
先回も色だけで選んだら、中に大きな文字が書いてあった。

同じもと思って買ったら、棚の中は入れ替わっていた、
フィットするけど、きつすぎ、生地も薄かった。

靴、靴下

’57年;名古屋に出て最初の靴は昔ながらの職人の注文品だよ。
丸くてごつい安全靴のようなものだった、それも安アパートの下駄箱もないところに住んでたから、
盗られてしまった、ここでは何足も靴が取られた、そのうち部屋の中に持ち込むことになる。
既成のブランド品は’63年ころだろうか、マレーリーの高い靴を買っていた。
このブランドも提携品になって品質がだめになってしまった。しかも販売は老舗デパートだよ。
このころからどこのデパートも仕入れ担当の質が落ちていった。

’90年ころ、このブランドの高いハイソックスを買ったけど2,3回洗濯しただけで
ふくらはぎのあたりでぶっつりとちぎれてしまった。